2016年、冬

今年の冬は長い。

2016年の11月頃から、今までずっと、冬。今日も冬。本当に長いんですけどいつ終わりますか?終わりは、来ますか?

 

このエントリーで言うところの「冬」は今の自分の気持ちを表すための「冬」であり「今年」であるので、何ボケたこと言ってんだもう2017年も3カ月目だよというマジレスは不要です。知ってる。花粉飛んでるもん。1年早い。


何においての自分の気持ち、かと言うと、NEWSと小山君を応援することにおいて。


このエントリーで書くことは私の主観で、NEWSのファンの人にとっては読んでいて不快な表現もあるかと思います。これからアルバムをリリースしてツアーに挑む、楽しい春を純粋に楽しみにされている方の気分を害すでしょう。申し訳ありませんが今回は読者さまへの配慮は二の次に、誤解も恐れず書いていますので、違うな、と思った方はその勘を信じて回れ右でお願いします。
またあくまで自分の中にあるものを吐き出すつもりで書いており、誰かとそれについて議論したい、誰かの意見を聞きたい、という気持ちは一切ありません。これを公開することでそれぞれご意見を述べてくださる方が出てくるかもしれませんし、その点で公開も躊躇ったけど、それでも整理したい気持ちが勝ったので公開します。私としては界隈に波風立てたい気持ちは一切ないので、よろしくお願いします。
あと、ひたすら長いです。ご注意ください。



2016年8月末、24時間テレビメインパーソナリティという大役を終えたNEWSは、夏までに得ていた勢いを、この冬失っていました。
せっかく普段NEWSを目にしない人たちの目にもとまるようになったところで、ようやく手に入れたはずの「変ラボ」は終了、シングルのリリースもなし。
新たな番組が始まるでもなく、誰かが連続ドラマに出るでもなく、テゴマスが動くでもなく。
完全な失速でした。
昔のNEWSを思えばこういう時期もあってしかるべきかなぁとは思うけど、「昔」から早く脱却したいはずなのにいつまでもこうじゃなぁと思わざるを得ず。やはり事務所内での位置が変わってないんだろうなと察してグサッときたり。これについてはプロデューサー陣にどういうつもりなのか尋問してやりたいですいまだに。*1 これについてはっていうか、もう全部プロデューサー出てこいそこに座れ案件なんですけど。


その失速と共に、私のNEWSへの気持ちも小さくなってしまっていました。

それはNEWSにグループとしての表面的な活動がなかったから、というのが大きな理由ではなくて、表面的な活動がなかったはずなのにその裏側で起きていた様々な、本当に様々な事情を受けて、が理由です。
NEWSとして、NEWS担として、小山担として。この冬、何もなかったわけではなかった。むしろ短期間にしては多すぎるくらい色々あって、そして今もなお整理がついていない。
正直なところ今、とてもとても疲れています。

 

もうひとつひとつ詳しく挙げるもの億劫なので書きませんが、

そもそも、24時間テレビ直前の動揺を消化しきれていないままであったこと。
年末の歌番組のクオリティ(ビジュアル、歌、態度などなど)が低かったこと。
ザ少年倶楽部プレミアムの内容に心躍らないこと。
言動と行動にギャップがあるように見受けられてしまったこと。


晩秋に小山くんが声が出なくなって以降、全体的に調子が戻ったように見えないこと。
それでも毎日お仕事し続けていること。


初めて聞いた、お父様のこと。


せっかくシングルが出るのに、相変わらずの楽曲制作チーム。
いつまでも新しい風が吹きそうにもない体制。
演出まで振付チームに任せてしまっていること。(全部じゃないとは信じてるけど)
さくらガールとIZANIZUKIがカップリングに選ばれた経緯と、出来上がりに、4人の主体性が見えなかったこと。
EMMAをめぐる、ファンの動き。
アルバムをめぐる、ファンの言動。

ほかにも、いろいろ、いろいろ。

 

ひとつのことに整理がついていない中、また次のことが立て続けに起きて、整理と納得ができないまま、どんどん置いてけぼりをくらってる。ずっとそんな感じです。
1個気になって「ちょっと待って」って思いながらも、誰かの意見じゃなくて、自分が見てきた今までのNEWSと今現在のNEWSを第一に信じたいから、今までもそうしてきたようにこの冬も自分なりにNEWSに向き合ってきたつもりだったけど、それでも立ち直れない点があまりにもたくさんあって、満たされないというか納得できないことばかりです。


もともと本人たちの「言葉」が大好きでどんなに情報が多くても本人たち自身が発信する言葉を1番に信じたいと思っていて、いかなる時もそれを拠り所にしながらNEWS担をやってきました。
自分から受け取りに行こうともしないのに、他者から聞いた情報、ネットに落ちている情報の一片だけを拾って知った気になって語る人種が大嫌いで、だからこそ自分は、どんなに露出が増えてもまた自分自身が掛け持ちしていたとしても、なるべく他者を介してではなく自分で、時差があってもテレビもラジオも雑誌も追いつくようにしてきているのだけど、
それでもこの冬は、欲しい言葉が、聞きたい言葉が、圧倒的に足りていないと感じています。

特にさくらガールとIZANAIZUKIの件は、内容がどうであれさすがに本人たちからもう少し言及やフォローがあると思っていたので、あまりのあっけなさに、少し怖くもなりました。置いていかないでって。

 

それに、前からこんなに色々あったかな、という違和感も同時に。
これがいわゆる「変化」「成長」ということなのか。私が過敏になっているだけで、全てを進歩だと捉えればいいのか。それもあるかもね。ネガティブに、過敏になりすぎちゃいけないと自戒することもあったので、だから逐一Twitterに書いたり、重箱の隅をつつくようなマネはしないようにと控えていたのだけど、それにしても、色々ありがちなNEWSにしても、色々ありすぎた気がしていて。気のせいじゃない気がしているんです。
でも、どんなに追っていても納得できなかったり整理がつかないのは、私の凝り固まったNEWSへの想いとかヲタクとしての価値観が、進化や変化をしていくNEWSを捉えるのに邪魔になっていることにも一因があると思っていて、そこは私も柔軟にならないといけないところだと常々自覚しています。ひねくれてるからね。
だけど。NEWSが猛進しても逆に減速してしまったとしても、本人たちのことは大好きなままだし、腐っても私がNEWS担であることには変わりないので、何はともあれ、相容れない価値観はうまくかわしながら、今年のNEWSもちゃんと自分の目で見守ろうって、なんとかやってきました。去年のツアーも楽しかったし、今年もきっと楽しくなるはずだって。今までもそうしてきたじゃない。落ち着こう落ち着こう、って。

 

 

 

そんな中での、一件。

 

すごく悔しかった。すごくすごくすごくすごく悔しくて、消えたくなりました。

 

一件のそもそもの内容が、というよりは、今まで着実に積み上げてきたもの、お仕事やそれによって得てきた信頼、そういうものが攻撃され、否定され嘲笑され、侮辱されたことが。悔しくて悔しくて毎晩大泣きして、どうにかなってしまうかと思いました。

その引き金を引いてしまった責任の所在は本人にあると言えばもちろんそれまでだし、こういうことになる立場にあるということは重々わかっている。「自業自得」だなんて、誰かに言われなくてもこれだけずっとアイドルのファンをしてきていれば痛すぎるほどにわかっています。だから、そもそもの内容については私自身もフォローする気はないし、内容が内容なので結構どうでもいいし、その内容で私の気持ちがどうこうすることはないのだけど、その外側で待っていた心無い言葉の応酬、余波の方がもっとずっと酷くて冷たくて気持ち悪かった。
これまで彼のキャスター業を真剣に見たことなんてなかったくせに、気にしたことさえなかったくせに、一件後の彼の「顔色」や「表情」を見るためだけに、彼が今まで7年間、真剣にまっすぐに向き合い挑んできた生放送の報道番組を視聴する。冷やかしのためだけに彼の姿を確認し、「やっぱり顔色悪いね」「思ったより元気そうじゃん」と好き勝手な言葉で抽象する。自分から言及して釈明するかどうかだけを気にして、彼が読む原稿なんてまるで聞いていない。顔色が悪そうなのは前からなのに。声だってずっと出ていないのに。それでも毎日きちんと同じ場所に立ち続けて、明るいだけではない世の中に目を向けて、声にして、足を運んで、インプットとアウトプットを続けて、また次の日もその場に立って。次の日はもう生放送を見ることもなく、勝手にまた気にしなくなるくせに。そんな、彼の「仕事」への侮辱でしかないことを平気でやってのける「NEWSファン」が醜くて、うっとうしくて、邪魔で。その人たちは、なんで私の好きな人のことを知っているの、なんで好きなの、どこから来たの、そもそも誰なの、どの立場からものを言ってるの。彼の仕事の邪魔をしないで。私の邪魔をしないで。世界中で彼を好きな人が自分だけだったらいいのに。そんな人たちと同じ括りに入れられてしまう自分のことまで憎くてしょうがなくなりました。

 

もう、全部やめたい。考えることも好きになることも嫌になることも。全部全部やめたい。ぐっちゃぐちゃ。そんな感じで、今います。

 

もう楽しくないならやめちゃえって時々何人目かの自分が囁いてきたりします。もう、潮時なんじゃない?という声が聞こえたりもします。

 

 

でも、私、11歳の時から小山君が好きなんですね。

12歳の時からずっとNEWSが大好きなんですよ。

だから、もう、小山君のことを見ない人生を知らないんです。

記憶がはっきりある自分の人生の中で、小山君を知らない自分の人生の方が短くて、小山君を知らない自分なんてもはや出会ったことがないから、ちょっとどうしたらいいかわからない。どうやって生きたらいいかわからない。大げさかもしれないけど、非常に危ない発言だけど、でも結構本気です。
いつかは小山君を見なくなる日が来るのかな、と漠然と考えたりすることも今までなくはなかったけど、その「いつか」が今目の前に来ているのかもしれないと思うとものすごく怖いです。「いつか」がこんな風に来るなんて、信じたくない。まだ、その決断はしたくありません。まだ、全然、大好きだから。
これだけ想いが溢れるし、嫉妬もするし、NEWSの色々に対して憤ったり悔しがったり、ぐちゃぐちゃになっているから、そうしているうちは大丈夫だと思っているけど、でも今までと自分の気持ちの傾け方が違うのは確か。好きの量が変わったとは思わないし他人からもそうは言われたくないけど、スタンスが変わりつつあるのは認めざるを得ません。だけどスタンス云々は自分のものでしかなくて、人と同じである必要もないので、それは自分が心地いいところを見付けるだけの話であり。好きなこと、楽しいことだけをおいしくいただく。無責任だけど。でも、そうやって割り切っても拭えないこの漠然とした不安感は、自分でもどうしたらいいかわからず、怖いです。これから始まるツアー、を見る自分、大丈夫かなって思ってしまいます。 もちろん単純にアルバムを、楽曲を、NEWSが作る新しいコンサートを楽しみにする気持ちもあります。大好きだもの。でもなんだろう、自分の中にある大きな期待と大きな信念と見ないふりのできない暗い色をした気持ちの間で、思うように身動きがとれなくなっている。そんな感じです。

本人には、今回のことで自分自身が置かれた立場、取り巻く環境が確実に変わっていることや、商品でもある自分に関わり動いてくれている人がどれだけ増えたかを改めて自覚して、いろいろ、やりすぎだったなって自分で思うことは改めていってくれればいいよ、と思います。変わっていくことも、変わらないままでいることも、どちらもちゃんとあるんだよって言いたいかな。
今はただ、これ以上何も起きないでと願いつつ、NEWSが、小山君が満足のいく2017年になることを祈るのみ。できるだけフラットに、私の「好き」を何にも邪魔されないままに、自分の目でNEWSを見るだけです。今年のコンサートを見て、4人を見て、どんなことを感じるのか。ちゃんと向き合ってみようと思います。
その先に私の「春」があるんだと思います。

 

 

本当は、ただいてくれるだけでいいはずだったのに。もう会えないかもしれない、と思った時期を乗り越えたのだから、いなくならないでいてくれたらそれだけでいいと確かに思っていたはずだったのに。ごめんなさい。

こんなこと、本当は公開すべき記事ではないかもしれないけど。なんでもかんでも人の目につくところに書くタイプは私も本来苦手なはずなのだけど。それでも書いてしまう弱さをお許しください。文章もぐちゃぐちゃなのに。最後まで読んで下さった方がいたのなら。ありがとうございました。

*1:10周年の2013年にシングルを出さなかった無礼も許してないのに